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義理と人情

 ウィキペディア(英語)の戦車のページ

星占いで、ある星座から7番目のとこ、真反対に位置してる星座って、真反対のもんを持ってるって言うやろ。

一言で言ってしまえるようなもんやないけど、おひつじ座の主観とてんびん座の客観とか。

ふたご座といて座は、なんか似てるけど、ふたご座の知的好奇心が、すぐに役立つ暮らしの豆知識系やとしたら、いて座の知的好奇心は、今すぐどうこうやのうて、地下水脈みたいに流れる真理探究系やったりな。

おっと、ごめんな。ふたご座生まれの人がどうこうって話やないんや。
あくまでも、星座そのものの話な。
ふたご座生まれって、太陽がふたご座に入ってるってことやから、月とか他の星が違う星座に入ってて、そっちの星座からの影響も大きいってことあるやろ。
そういう意味で、星座そのものの持ち味の話や。

で、真反対のありようは、正面からぶつかったり、お互いがひっぱりあって譲り合わず、緊張関係が生まれる・・・とも言われたりするけど、それだけに、スケールが大きいんや。アスペクトで言うと、オポジション、な。

主観と客観の一方だけが、大事なわけないし、豆知識も真理探究も、大事やもんな。
それぞれ意義があって、双方のよさを生かして、よりよいあり方を探っていく・・・そうやって、見つかった答えは、さらに深いもんにつながってく、はずや。
それに、真反対のもんがいっつもいっつも対立してるわけやないしな。
ともあれ、真反対には、大きな大きな潜在力を感じるで。

12星座の真反対の6個の組合せのうち、一番、誰にでも心当たりのありそうなんは、かに座の持ち味とやぎ座の持ち味の組合せかもな。

かに座、やぎ座の順番で言うと、家庭と社会、母性と父性・・・やさしさと道徳

世の中の秩序には反してるんやろけど、人として、彼のやったことはわからんでもない、って気持ち。
それでも、彼のやったこと、そのまんま許容してしもたら、しめしがつかへん。
間違うてることは、間違うてる・・・そやけど・・・。

昔っから、そのへんで、人は迷いながら、答えを探してきたんかもな。

勘当を言い渡されて、生家を去る息子に、こっそりと、なけなしのお金を渡す母親。
それに気付きながら、知らないふりをする勘当を言い渡した当の父親。

う~ん、ちょいと浪花節かな。でも、これなんか、かに座とやぎ座の綱引きの世界。
裁判の執行猶予なんてのも、もとは、かに座とやぎ座の綱引きから生まれたもんかも。

浪花節ついでにさらに言うと、かに座とやぎ座の綱引きは、義理と人情とも言えそうや。
義理と人情ってよう似た言葉って思われがちやけど、実は、真反対の言葉なんとちゃうか?

義理って、これを守らへんかったら世間様に顔向けでけへんってきまりごとで、人情って、ありのままの人としての思いやからな。

さて、Rider Waite Tarotで真反対のもんちゅうと、大アルカナの戦車に描かれてる2頭のスフィンクスかな。
色も白と黒、よう見ると、かたっぽのスフィンクスだけ、乳房がある・・・。

そやから、このカードは、真反対のもんを力づくででも御して、全力で前進するちゅう、なんとも勇ましいカード。
あくまでも力づくで御してるだけやから、真反対のもんが溶け合ったりするんは、まだまだ先のこと。
矛盾や波乱をはらんでるんかも知れへんけど、今はともかく、進むんやってカード。

戦車のカードのこと、義理と人情を背中にしょって、ぶっとばしていけってカードって呼んでみるんが、大阪のおばちゃん流かいな。

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恋の扉を開ける時

恋の扉を開ける時、
後で、どんなふうに思うはめになるかは、見当もつかへん。

苦しい、せつない思いの末に別れてしまっても、なお、あの人と出会わせてもらって、ありがとうと、思うのか
くだらん人に振り回されて、ばかばかしいまねをした、と思うのか

そのどっちになるかすら、見当もつかへん。

そやから、後者になってしもても、別にあんたが悪いとか、未熟やとか、そんなんとちゃうで。
まぁ、そういうことやったってだけの話や。
ほんまはつまらんもんやのに、無理にええもんやったと思い込まんでも、大丈夫やからな。
むしろ、最後にはちゃんと見分けることができた自分をほめてええんやから。

えっ、未だに、上の二つのどっちなんか、見当つかへんって・・・それは、もう少し、がんばって旅をしてみてな。

今、この瞬間も、誰かが恋の扉を開けようとしてるんかも。
ほんまは、おばちゃんが、その人に贈れる言葉は、たった一つなんかもな。

「さぁ、気合を入れて、どんと行っといで。」

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杖と占い

杖って、占いに似てる・・・かもな。

そんなもんに頼ってたら、あかんで、とか
自分の力で判断して、自分の力で飛び込んでいってこそ、人間や、とか

そういう考えを持ってる人も、いてはるやろな。

そやけど、みんながそんなに強くなれるもんやない。
それに、どんなに全力を尽くしても、もう、これ以上は、どうしようもない
あとは、天に祈るしかないってことは、誰にだってあるんとちゃうやろか。

そんな時、そこにあった杖に身体を預けて
ゆっくりでもええ、よたよたしててもええ、とにもかくにも、一歩ずつ歩く
そんなことがあっても、ええんとちゃうか、
と思う。

そやから、杖をどんなに大事にしてても、座り込んだままでは、どこへも行き着かないのは、言うまでもないことやろし、
誰かが、占いに頼った日々があったことさえ、忘れてしまうようなことがあったら、これは、その占いが役割を果たしたってことなんやろな。

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