Rider Waite Tarot の剣8は、赤いドレスの女性が、目隠しをされて縛られて、剣に囲まれてるカード。おまけに足元は、ぬかるんでどろどろや。
絶体絶命、どこにも逃げ場なしって見えるけど・・・、よう見たら、下半身は縛られてへんし、彼女を囲んでるはずの剣かって、隙間があいてて、そこから、逃げ出せそうやで。
タロットカードの中には、身動きが取れない、とか、まわりがよう見えないってイメージのカード、結構あるように思うけど、ほんまに、身体が縛られてたり、目隠しされたりカードって、意外に少ないんや。
あの悪魔のカードかて、人が鎖につながれてるけど、首のところなんかずいぶんゆるやかで、外そうと思ったら、簡単にはずれそうやで。ほな、自分の意思で、つながれてるんかいな。
見えてないって言っても、実は、自分から目をつむってたり、もう、これ以上、見たくないって、顔を手で覆ってたりな。
そやそや、剣2は、ほんまに目隠ししてるけど、これは、むしろ、余計なもんを見て惑わされへんためって感じやな。
そしたら、剣8の彼女は、自分から目隠しをしたんやろか、それとも、誰かが彼女をだまして、目隠しをさせたんやろか・・・。
どっちにしても、目隠しをしてると、目の前のもんが見えへんけど、それって、ちゃうふうに考えたら、自分の心の中をじっくり見れるってことなんかもな。
身の回りのただ騒々しいだけの情報やのうて、ひとり静かに自分を見直して得られるもんに、現状打破のヒントがあったりして。
彼女の赤いドレスは、まぶしいばかりの情熱の象徴。
一度、囚われて、悩み、迷った後、もう一度、駆け出していく彼女のドレスは、より一層、鮮やかかもな。
もう、あかん。どうしようもない・・・
そんなふうに思えてまう時は、だまされたと思って、目を瞑ってみたらどやろ。
何も見えないはずの中に、見えるものがあるかもな。
赤いドレスをまとった彼女には、取り囲む剣やぬかるんだ道をものともしない力が眠ってるはずやからな。
精読と乱読のどちらか一方にだけ意義があるわけやないやろ。
それぞれのよさを上手く取り入れて、自分だけの素敵なもんを作り上げて行きたいもんや。
スクエアやオポジションのこと、悪いもんやって思い込んで、怖がってばかりいるのんも、もったいないで。
まるで違った星のよさを上手く活かせるような、自分ならではの使い方をいっしょに探しにいこうな。
ブクログってええなぁ。
そんなに読書家ってわけやないけど、図書館で本を借りてきたりは結構するんや。
今度は、どんな本、借りようか・・・って時にも便利なんや。
前読んでええなぁと思った作家さんの別の作品を探したり、他の人の評価を参考にしたり、な。
うちの図書館も、ホームページから貸出予約ができるようになってるから、ブクログで本を物色して、パソコンの前に座ったまま、即、予約ってできるんや。私の子どもの頃には、思いもよらんかったで。ほんまに。
他の人のレビュー読むのも、私が読んで体験したもんを、少し違う角度から、もう一度見てるようで、心地ええんや。読後感が、さらに彩り豊かになるちゅう感じな。
私のお気に入りの本が、あまり面白くなかったとか、書かれてることもあるかな。
そやけど、不思議と、腹、立たへんのやわ。そうか、そういう見方もあるんかって感じ。
他のHPやブログなんかで意見が違うとなると、何かとヒステリックなやり取りになって、読む気がせえへんぐらいげんなりとなるんやけど、ブクログでは、そういうのん、あまり見かけへんなぁ。
人と本の関係ちゅうか、一人の人と本の関係って、ある種の聖域なんとちゃうやろか。
ある本を読んでる時、そこから感じるもんは、どこまでも素の自分の思いや。
そのへんが、テレビでドラマを見たりとは、どっかちゃうんやなぁ。
誰にも話さないまま、そっと心にしまっとくことも多いやろ。
そやから、そういうもんをこそっと持ち込む場所には、どこか、お互いを尊重する空気があるのかもな。それとも、暖かい無関心ちゅうか。本のレビューは、他の人にあてて書くちゅうより、自分に向けて書くもんなんかもな。
私は、本は移動中に読むことも多いんや。たいがい、大阪の電車の中やなぁ。
池井戸潤さんの「オレたちバブル入行組」で、あの半沢直樹が融資先に乗り込むシーンを読んでる時は、阪急電車の淡路駅付近やった。おいおい、その工場、この近くやん!?ってな。
阪急電車ちゅうたら、有川浩さんの「阪急電車」やなぁ。
電車待ちのとこで、青とピンクの椅子って書いてあって、なつかし~って思ったわ。
あれ読んでから、電車の中で、ちょいとはた迷惑なグループを見ても、あまりいらっと来なくなったかなぁ。
三浦しをんさんの「仏果を得ず」を読んでた時には、大阪市営地下鉄の構内で文楽の公演ポスターを見つけたんやで。あぁ、あの物語の中のように、文楽に焦がれてる人がいるんやなぁって思ったなぁ。
一途で不器用でちょいと規格外な、文楽の道を進む今の世に生きる男性と、しっかりもんで気風のええ女性が出てくる物語なんや。主人公はただいま精進中で、お金もあんまり持ってへんから、ラブホテルに下宿中で、そのへん、びっくりするぐらい現代の空気と伝統芸能の空気と入り混じってるんやわ。
文楽の心中やら仇討ちやらは、私らにはSF以上に異次元のもんやけど、三浦さんの物語を通じて文楽の筋を追うと、今と変わらないいろんな人たちの息遣いが聴こえてくるようでな。ずっと昔から、この話を夢中で聞き入った人たちとその芸を見せた人たちがいたんやなぁって。昔の人と昔の物語と今を生きる人と・・・三重写しになってるようで、面白かったわ。
今、大阪では文楽はちょいとピンチかもな。
そやけど、どんな芸術も、それに身をささげる人と、そうして生み出されたもんを心待ちにし、ひと時、日常を離れ、声援を送る人たちとともにあるもんや。
為政者から迫害されたり、逆に、庇護を受けたりの歴史はあっても、芸能や芸術どこやないって時代が来ても、ずっとその芸は受け継がれてきたんやろ。
あの本に登場する人たちのような文楽に関わる人たちがいる限りは、これからもきっと大丈夫やで。がんばってな。
高田郁さんの「銀二貫」も、商いの町、大坂を舞台にしたほっこりするお話やったなぁ。
天神橋の上から、東の方を見て、あっちの方はお武家さんが多かったんかぁ、とか、物語の中のあの人たちは、ここから天満宮を見たんかなぁとか思ったりしたで。
いろんな物語を思い出しながら、大阪の街を歩くのも、ええもんやで。